私のアトピー遍歴(小学生の頃)
今回は私のアトピー遍歴について書いてみます。
母がいうには、1歳ごろからアトピーだと言われたようです。
記憶のある限り、私はいつもアトピーでした。
いつも母に「かくんじゃないよ」と言われていました。
ずっと通っているお医者さんがあって、そこはいつも混んでいました。
皮膚科ってなんかすごく混んでますよね?
行くと2時間とか待たされて、診察は5分もなかった・・・みたいな。
子どもの頃に通っていた皮膚科はもうなくなってしまったようです。
行くとおじちゃん先生がいて、一通り手とか足とかを見て、
「はい、お薬だしときますねー」でおわり。
いつもいつも同じ。
そして同じ薬をもらう。
覚えてるのは真っ赤なシロップ。
今考えると何だったんでしょうね、あの色は・・・
すんごく甘くて、これなら甘いから飲んでもいっかー的なことを子どもの頃は思っていました。
今だったら絶対のめない~!!バリバリ糖類と添加物のかたまりって気がします。ぞっとする・・・
あとはお決まりのステロイドのチューブですね。
顔用と体用で、一回に10本以上貰っていたと思います。
家にはいつもチューブのステロイドが机に常備されていましたね。
お風呂上りに母がよーく塗り込んでくれました。父だったかな??
ちょっと忘れましたが、毎日かかさず塗っていたのは覚えています。
毎日全身べっとべとでしたねー。
今母になったから分かりますが、ほんとに私を治そうと思って、必死に塗ってくれたんだと思います。
子どもがかゆがってるのって、親は見ててかなりつらいです。
私の母は結構きちっとしてるので、よけいつらかったんじゃないかな。
ちなみに私はかなりぐだぐだな性格なので似ていません(笑)
そういえば、子供の頃はかなり偏食で、極度の野菜嫌いでした。
食も細くて、給食が大っ嫌い。
なんでこんなまずいもの食べなくちゃいけないんだぷんぷんといつも思っていました。
家でももちろん野菜は食べないので、母が怒るんですよね。。
それがストレスで余計ガリガリやる。→母がイライラして「かくな!」→余計ストレス→無限ループ
不毛ですなー。
あとすごく覚えてるのが、一時期チョコレート禁止にされたことがありました。
小学生のときですね。。
アトピーの人って、甘いものすきじゃないですか?
ここにアトピーの原因があるんだと思うんですけど、当時の私にはショックすぎて受け入れられませんでした(笑)
買ってもらえないからお小遣いでこっそり買って、むしゃむしゃ食べる!!
友達と駄菓子屋さんで買うのはいつもチョコレート菓子でした。
かさかさしたスポンジ生地にチョコレートがコーティングされてるやつ。
毎日食べてたなぁ・・・(遠い目)
子どもって親が押さえつけても結局自分のしたい事はするんですよね。
それこそ親の目を盗んで(笑)
話がそれましたが、小学校時代はそんな感じで両親がよーくステロイドを塗ってくれていました。
それでもすごく悪化したときもあります。
薬指がずるむけで、汁がだらだらしていました。
私、手に出やすいんですね。これ書いてて思い出しました。
いまも手だけしつこく残ってるし・・・
まーとにかくだらだらしててしょうがないのでガーゼをぐるぐるまきにして学校には行っていましたね。当時はそこまで気にしていなかったけど。
ある時母がアトピーで評判のいい医者に連れて行ってくれました。
その当時はあんまりなかったと思うんですけど、(今もか?)
ステロイドをつかわない病院でした。
なんか軟膏みたいのを塗って、ビタミンCを毎回注射して・・・みたいな感じ。
当時の私はその意味が分かっていなくて、
なんでいつも注射なのー、やだよー、いきたくないよーって感じでした。
今思うと脱ステの1回目ですかねもしかして。
母も薬漬けの生活に嫌気がさしてたのかしら??
真相はわかりませんが、もちろん悪化悪化の大悪化!!
顔もからだもかき傷だらけの血だらけ。
思春期に入りかけた女の子にとってはかなりつらかったと記憶しています。
親もつらかったのでしょうね、ほどなく元のステロイド医者に戻りました。
その時私が「治ってきたよ、よかった!」みたいなことを言った時の母の顔が忘れられません。すごく苦しそうで悲しそうでした。
母としては子どもの為を思って医者を変えてみたのに、失敗した、やっぱりだめだった、という感じだったのかな?そして治らないんだわ、という絶望ににた感情があのときあったんじゃないかな??
当時はわからなくて、「おかかさんが悲しい顔してる。なんか悪い事しちゃったかな?」とずーっと心にひっかかっていました。
まぁ、でもステロイドのおかげで、私はかゆいながらも人並みに生活していました。
病気という病気もせず、行く病院は皮膚科だけ。
そんな小学校時代でした。
長くなってきたので、今回はここまで!!